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平成22年度 インダバ (指導者のつどい)
六甲山の開発について

六甲山記念碑台には、六甲山開発の端緒を開いた、A.H.Groom 氏の像があります。

Groom氏は、1868年(明治元年)に日本に来た英国人の貿易商です。

登山と狩猟が趣味でしたので、神戸の裏山の六甲山に登っていたのですが、居留地に住むだけでは飽き足らず、六甲山の三国池畔に土地を借り、別荘を建てて住みつきました。 その別荘は、住んでいた居留地の商館が 101番だったので、「百一」と名づけられました。 三国池には、101と書いた碑が残っていますが、今は見ることができず、記念碑台にレプリカがあります。

あるとき、友人との会話の中で、ゴルフをしてみようということになり、適当な場所を見つけ、草木を切り、石を除いて、ゴルフ場を作りました。 始めは 4ホールだけでしたが、9ホールになり、1903年(明治36年)に、日本で最初のゴルフクラブ「神戸ゴルフクラブ」を興しました。 2年後には、18ホールが完成しています。

Groom氏は、宮崎 直さんと結婚し、15人の子どもが生まれました。 母国には、2・3度帰っただけで、1918年(大正9年)に急逝するまで、日本に住み続けました。

グルーム氏
101

六甲山は、神戸の背山として、Groom氏だけでなく多くの外国人たちによって開かれ、登山道が開拓されました。 その中でも、H.E.Daunt 氏は、六甲山を始め、日本各地の山に登り、BELL GOAT のペンネームで「INAKA」という本(英文)を刊行しました。

1910年(明治43年)には、日本初の社会人山岳会である神戸徒歩会が創立され、1924年(大正13年)には、Rock Climbing Club(RCC) も結成され、日本にロッククライミングを紹介する役割を果たしました。

六甲山は、日本における近代アルピニズム発祥の地といえます。