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  兵庫連盟の国際交流事業(宝順丸贈呈事業)  On June 14 2006, our contingent for donation of replica ship "Hojun-Maru" visited to Makah Cultural & Research Center.
 2006年6月14日に兵庫県の姉妹州である米国ワシントン州の最北端カナダ国境近くのフラッタリー岬に位置するニアベイのマカ族博物館Makah Cultural & Research Center)で贈呈式を行うべく日本ボーイスカウト兵庫連盟からから宝順丸(和船)が送られました。

 
宝順丸の出航式 2006.4.19. *プレス用原稿内容(PDF)

 
兵庫県庁2号館1階渡り廊下で展示されていましたが、寄贈先が決まりボーイスカウト兵庫連盟長である井戸兵庫県知事、製作者である湊隆司、山田県連盟理事長ほか関係者が見守る中、宝順丸の出航式が行われました。
 宝順丸は梱包され船積みし、シアトル港へ6月初旬到着予定。 寄贈先のワシントン州マカ族文化研究センターで兵庫連盟からの代表派遣団列席のもとに6月14日に贈呈式が行われました。

(写真は連盟長(井戸兵庫県知事による。出航式。)
  4月19日付 朝日新聞の紹介記事。(クリック)

 今回の贈呈事業にはシアトルにあるワシントン州兵庫県事務所の協力を得て、ボーイスカウト兵庫連盟からは山田理事長はじめ8名の派遣団を結成しました。派遣団一行は6月9日から18日の予定で贈呈先のマカ族博物館だけでなく三吉記念碑のあるフォートバンクバー国立史跡公園はじめ、カスケードパシフィック連盟本部や連盟所管の野営場の見学、Mt.ベーカー連盟やこれまで日米合同訓練などでゆかりの深いシアトル53隊の関係者フランク西村ご夫妻と再会を果たしました。
 今後ますます国際交流が広がり兵庫連盟のスカウトがこれら西海岸のキャンプ場へ遠征していくことも考えられます。今回の派遣はそのような意味から兵庫連盟にとっても友好交流の架け橋となったことでしょう。
 下の記事は6月12日付けのポートランド市の地元新聞(Columbian紙)で京都の城陽市の姉妹都市であるバンクーバー市(カナダのバンクーバーと同名。)にある三吉記念碑でのセレモニーが紹介されました。会場にはマクドナルド友の会の
ジム・モックフォード氏も来られて全員記念写真をとり、またトレーシーフォットマン公園管理長へ連盟から感謝状を贈呈する。

(Courtesy of The Columbian Publishing Co. quoted The Columbian June 12 2006)
Columbian紙の記事翻訳記事
(記事拡大表示PDF)

     
11月29日付北米報知新聞          11月26日付北海道新聞       12月1日付城南タイムス

追記:マクドナルド友の会のジム・モックフォード氏より2006年12月2日の日本のTV番組「世界のふしぎ発見」に出演のため日本のTV局のインタビューを受けたこと。そしてその新聞紹介記事がEメールで送られてきました。(上の記事をクリックすればPDFで拡大表示。)
  宝順丸贈呈派遣団のスナップ

*三吉記念碑・ボールドウィン野営場 

  6月14日の贈呈式を伝えるに関する現地新聞(Our Peninsula紙6月16・17日付)
 
”Japanese honor Makah rescue”
-Hospitality a matter of life, death for 3men blown adrift in 1834.
 新聞の見出しは
     「
日本人がマカ族の救助を称える
  -1834年に漂流した3人にとってホスピタリティ(もてなし)は死活の問題。」

 との見出しで書かれています。記事内容は漂流の経緯が紹介されています。昨年8月にマカ博物館へ送った井戸兵庫県知事(連盟長)の贈呈メッセージから引用して、
 「We know it was not a simple thing for the Makah to take in these strangers, We must praise the spirit of each side in overcoming the hardships of different cultures.」


(私たちはマカ族の皆さんがこれらよそからの見知らぬ者を引き取ることは簡単なことではないことはよくわかります。異文化での艱難を乗り越えるという精神もまた賞賛しなければなりません。)
との紹介や、
宝順丸をExquisite in detail
(細部にわたって精巧につくられたもの。)と絶賛して宝順丸の製作者の湊隆司氏の紹介があります。

 いずれにせよ今回の宝順丸の贈呈を通じて博物館に訪れる多くの人々に史実を紹介できること。また姉妹州として兵庫県との関係を広くアピールできることはすばらしいことです。
(記事をクリックすれば拡大表示します。)



 兵庫県宍粟市と姉妹都市関係にあるスクイム市はシアトルからマカ族のニアーベイの途中にある町で、スクイム宍粟市姉妹都市協議会の書記をされている外山良子さんご夫妻も今回の贈呈式のセレモニーに出席され地元の新聞The Peninsula Daily Newsに記事投稿された7月5日付のForks Forum欄の記事が送られてきました。
(写真はクリック拡大表示。





 外山良子氏とEckart Mildenstein氏のForksForum欄への寄稿記事

Makahs remember Japanese sailors stranded near Cape Flattery in 1834
マカ族は1834年フラッタリー岬近くに上陸した 日本の水夫を偲ぶ

(新聞記事翻訳)
 150人のマカ族と25人の日本人や来賓が6月14日に米国大陸最西北端のマカ族の拠点であるニアベイ村に集まりました。
 訪問者である日本のボーイスカウト兵庫連盟代表団は170年前の高価な帆船の模型、”宝順丸”をマカ博物館へ搬送しました。 この船は約1年間を費やして船大工である湊孝司氏が日本の杉材を多く使って手作りしたものです。
この貴重な贈物はマカ族が祈りや、ダンス、歌、スピーチまたハイライトは部族のLongHouse(漁業道具小屋)で伝統的なサーモン(鮭)ディナーが行われるセレモニーを催し、贈呈式が行われました。
 ベン・ジョンソン、マカ族評議委員会議長、そして山田知輝兵庫連盟理事長が交歓しました。ジェニー・ボーチョップマカ博物館長がこのイベントを企画しました。そしてマカ族の漁民であるブレイン・パーカーは伝統的なマカ族が家族のために神に感謝する歌を披露しました。
 部族の長老やマカ族の若者の余興にたいして、日本の代表団はスカウトの制服を着て日本の歌やアクション踊り:「幸せなら手をたたこう」を披露し、全員が楽しみました。
 異国の地から集まったこれら出席者はセレモニーでお互いに歌やダンスや伝統的な紹介を通じてお互い楽しみました。 
 貴方はなぜマカ族と日本人が関係あるの?と不思議に思われるかも知れません。そこにはどんな繋がりがあるのでしょうか? 170年前にさかのぼる驚くべき物語があるのです。

 1832年に宝順丸は14人の水夫とともに米や陶器を積んで日本の内海で航海中に舵が壊れました。そして、船は太平洋を漂流することになったのです。
 壊血病で14人の水夫の内11人が死亡。最終的に14ヶ月の太平洋の航海の末に3人の生き残り水夫、音吉、久吉、岩吉がフラッタリー岬近くへ上陸しました。
 これら三人の気の毒な水夫が見た上陸地はなんと絶望的なものであったか想像できます。マカ族を見て3人の水夫は原住民からどんな扱いを受けれるのだろうかと驚いたことでしょう。彼ら3人は生きることを許されたのでしょうか?
 幸いにもマカ族は彼らを養い、保護しただけでなく助けました。とジェニー・ボーチョップ博物館長は説明されました。
 マカ族はこれらのよそ者を多分他の部族から捕まえてきたものと同様に、家族の財産として受け入れたと思われます。これら3人に対して奴隷という用語を使うとはいえ、彼らの生活状態は主人とはそれほど変わらなかった。しかしながらかれらは重要な部族の儀式からは除外されていた。
マカ族長老のEdith Hottowe氏と部族の口述伝承者はかれれの祖母が日本の遭難水夫のことを語っていたことを覚えています。
 陶磁器はマカ博物館で1830年代のものとして保存されています。
3人の水夫のことは現在三吉としてかれらは最初に米国大陸に足跡を残した日本人として知られています。、
 物語はここで終わらずに続いていたら、もし3人の日本人がマカ族の女性と結婚していたらと思いをめぐらすのですが、それは無理です。 彼らは帰国を熱望していたし、たぶん26歳、15歳14歳では定住するにはあまりにも若い年齢でした。
 数ヶ月のマカ族での生活とハドソン湾会社の介入があった後で、これらの日本人はロンドン、マカオ、香港、シンガポールに滞在し世界を航海しました。その間にはかれらは聖書の一部の翻訳を手伝いました。
 ついに1837年、日本から離れて5年後かれらは英国船で帰国の航海をしましたが、当時の日本は鎖国政策で外国船入港は閉鎖されており、彼らの船は大砲で排除されました。そして3人は外国で生活しなければならなくなりました。 2人は亡くなり一人は英国籍を取得し英国海軍の通訳となりました。

 外山良子さんは日本人で米国に帰化され市民権をもっておられます。そしてスクイム・宍粟市姉妹都市協議会の書記として活躍されています。
 宍粟市はこの模型船を製作した日本の兵庫県にあり、彼女と夫であるEckart Mildenstein氏はこのセレモニーに出席されました。
 宝順丸上陸地 Cape Alavaの海岸。  マカ族の方を交えて記念撮影
 フラッタリー岬でのトレイルコース展望台  マカ博物館展示場前で記念撮影
 

 
宝順丸は1832年尾張の小野浦(現美浜町)を江戸に向けて出帆したところ遠州灘で台風に巻き込まれそのまま14ヶ月太平洋を漂流し、生き残った乗組員3人(岩吉、音吉、久吉)が米国西海岸のフラッタリー岬に漂着し、アメリカ原住民マカ族に捕らえられました。
 ジョン万次郎よりも早く最初の北米大陸に足跡を残した日本人として、音吉(14歳)ら異国での水夫3名が波乱万丈の人生をたくましく生き抜いた物語は、感動的であり、三浦綾子著「海嶺」などの小説でもとりあげられています。
 彼らは異国の地で様々な逆境を乗り越え逞しく生き抜きました。あまり知られていませんが、世界情勢が開国をせまる幕末の日本で帰国の願いもかなえられず異郷の地で漂流民の救助や日本最初の聖書翻訳など彼らの果たした役割は多大であります。
 青少年の健全育成を推進するボーイスカウト運動にも通ずるものがあり、広く史実を顕彰するため、日本ボーイスカウト兵庫連盟は1989年に現地のシアトル第53隊との交流を契機に記念碑を建立し史実を顕彰しました。
 今回はこの交流事業に続いて、兵庫連盟は兵庫県赤穂市文化財選定保存技術者である湊隆司に精巧な和船の製作を依頼し、
の深い漂着地にあるマカ族博物館へ模型船を寄贈するものです。


 今回の宝順丸の寄贈事業と併せて兵庫県国際交流協会からの補助により兵庫連盟が作成した英文紹介パンフ。「Symbol of Cultural Bridge between Japan and the U.S.」(日本と合衆国を結ぶ文化の架橋)三吉の漂流物語やラナルドマクドナルドまた関係するモニュメント等の説明が詳しくされています。原本のパンフはB4サイズの両面三折で印刷されています。
       (各ページをクリックすれば拡大表示します。) 
 This leaflet describe the brief history of "SAN KICHI"(three shipwrecked sailors) , Ranald MacDonald who was a first English Teacher in Japan and concerned monuments.   (Click each page for displaying a large size.) 
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              -Special thanks to Hyogo International Association.-

 1989年8月アメリカ合衆国のワシントン州建州100周年記念式典において日本ボーイスカウト兵庫連盟は三吉顕彰記念石碑を寄贈その除幕式が行われました

 この記念石碑について皆さんに紹介するとともに漂着水夫である三吉(岩吉、久吉、音吉ら3人の総称)たちの数奇な運命を通じて国際交流・異文化理解の大切さについて考えたいと思います。

 
日米友好の絆となる顕彰碑は今から170年前の江戸幕末に尾張の国知多郡小野浦の宝順丸が難波し14ヶ月間も太平洋を漂流した後、米国ワシントン州北西部フラッタリー岬に漂着した3名の船乗りを顕彰するものです。
 1834年に日本人としてはじめてアメリカの土を踏んだ3人の漂着水夫、岩吉、久吉、音吉という当時15,16才の少年たちが14ヶ月の漂流に耐え抜いたことが人々に大きな感動と勇気を与えるものであり、この史実を後世に伝えると共に、ボーイスカウトアメリカ連盟シアトル第53隊との交流を記念し、この史実保存のためにワシントン州とオレゴン州境にあるフォートバンクーバー国立史跡公園内に50年後に開封するタイムカプセルとともに顕彰碑が建立されました。


  
兵庫県ボーイスカウト振興財団
 創設30周年記念事業


    平成17年度に創設30周年を迎えるあたり、兵庫県ボーイスカウト振興財団では現在三吉ゆかりの地へ宝順丸(模型)を贈る計画が進んでいます。
 模型のサイズは長さ2m船幅50~60cmの精巧な模型で船大工として兵庫県赤穂市文化財選定保存技術者である湊隆司氏が精魂こめて製造細工に着手されています。来年の5、6月頃には完成予定です。
(左図完成図-クリック拡大表示。)

 三吉顕彰碑とあわせてこの日本の匠というべき精密な和船細工品を米国に紹介し、また史実を通じて三吉を顕彰し、日米青少年交流に役立てるという意義深い事業であります。
 輸送費捻出の問題や寄贈品設置場所の交渉、セレモニーのプログラムなどこれから解決すべき問題も多々あり、現在この事業は兵庫連盟国際委員会が担当して進められる予定です。 私も国際委員の一員ですが、今後「三吉の会」なども設立し、広く関心のある方へ協力を求めてこの事業を成功させていきたいと考えています。

 船大工湊隆司氏が匠の技に精魂を傾けて作られた宝順丸がついに完成しました。

 7月初旬に県連盟関係者が湊隆司氏宅の工房兼居間にて完成まじかの宝順丸を見学しました。長さは約2mで素材も本物の船同様に文献をもとに木材を使用部所毎に素材を使い分けて正しく縮尺して制作された宝順丸を見て一同が息をのむほどの精密な出来ばえに大いに感激しました。





2005年9月4日 兵庫連盟結成55周年活動振興大会で披露される。
 姫路市で開催された振興大会で湊氏が宝順丸を持参。多くの加盟員に紹介されました。
     宝 順 丸
 
着 工  平成16年10月     完 成  平成17年7月
 製作者  湊 隆司(赤穂市指定文化財選定保存技術者(和船建造))
 船体寸法(縮尺 1/11)
 全 長  2m13cm    船 幅 60cm  深 さ    45cm  帆柱高 1m90cm
 帆横幅 1m20cm(24反帆)        帆高さ 1m30cm
 重 量 約40kg(実物 250トン)
 使用材(実物建造と同じ材質を使用。)
  日向杉(宮崎県産) 主として船体すべて  桧(ヒノキ)材    船首、船先骨材、擬装
  欅(ケヤキ)材    船渡上段用材      松材         船内部造作
  樫(カシ)材      舵に使用

                       
宝順丸の展示紹介記事

レプリカの引渡式
(場所:県庁2号館1階渡り廊下)
(財)兵庫県ボーイスカウト振興財団が設立30周年を記念して作成した江戸時代末期の廻船「宝順丸」のレプリカが、日本ボーイスカウト兵庫連盟に寄贈され、財団の鬼塚喜八郎理事長から連盟長を務める井戸知事に目録が贈呈された。

 2005年9月4日から兵庫県庁2号館のロビーに一時的に宝順丸が展示され、多くの方々に一般公開致しておりました。来春には三吉らの票着地である米国ワシントン州の博物館へ寄贈される予定ですので実物見学はお早めに。 

  (左の記事をクリックすれば拡大表示します。)
  10月5日付読売新聞阪神版より。


2005年10月22日

 ボーイスカウト兵庫連盟関係者と、宝順丸の寄贈先であるマカ族文化研究センター所長の親書を持参していただいた谷田部氏との記念撮影。
 

 引き綱の木製滑車や舵をはじめ、船体の内部までも本物と同じように轆轤や荷物倉庫、甑(炊事室)部屋など精巧に作られています。


展示紹介パネルの内容
紹介パネル(PDF)
                             
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